7月 27日(月)また雨
昨日の写真ですがよく見えずすみません。相模湖での、「31回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会」の会場のステージです。会を重ねたこの追悼会には昨年と一昨年が参加できなかったので、今年は参加しました。
昨日は午前中が、小田急相模原で開かれた、市議会民主クラブ会派による、BRTの公開学習会のような場に参加しました。朝9時半からでしたが少し早めに行ってみたら結構たくさんの市民がもう来られていました。11時15分ぐらいまでいて、相模湖に電車で移動したため、最後まではいられませんでしたが、なぜこの時期にBRTの学習会なのか、どういう主旨なのか、市民の皆さんから指摘を受けて、知るために参加したのです。パネルデイスカッションでしたが、交通問題の専門家の方お1人と周辺にお住まいの方が2人という構成で市議がコーデイネーターでした。
交通問題の専門家である緑川さんは、武蔵野市のムーバス導入にも尽力された方とあって、やはり今回のBRT計画には、「直接この問題にコメントはできない」としながら、「道路拡張か、BRTなのか意図がよくわからない」という率直な意見で、住民の視点では見ていました。あとのお二人も賛成なのかと思うと、「手法がおかしい」「政令市に移行しようというのにこんなことをやっているようではだめ」というような「会場の皆さんと同じ」と強調されてもいました。会場からの質問では、「なぜBRTの測量費予算に賛成したのか?」という厳しい質問もでました。会場ではおそらく意見や質問をしたい方がほとんどだったと思います。そこまでしか私はいられませんでしたが、言いたいことがのど元まで出ていたのは私も同じです。
市のBRT計画が、相模縦貫道のインターチェンジに接続する道路拡幅のために持ち出されたものだとしたら、民主の市議の方が言われるような、「道路は拡幅していくしかない」という姿勢は困ります。かつて相模縦貫道路のインター計画が持ち上がったとき、私も市民の皆さんと一緒に、反対のため、アセスの意見陳述などいろいろ参加していました。その反対理由の大きな1つは、市内の生活道路への通貨車両の混入です。インターや高速が来るから、周辺の道路を広げる、という対処療法を繰り返しているから日本は世界に類のない道路大国になっているのです。20年近くも前に既に懸念されているのに、生活道路や住宅地にできるだけ通貨車両を入れないための工夫も予測をたてた対応策も取ろうとしてこない行政にうんざりします。それに従うだけでは困るのです。民主の皆さんにはそこの姿勢を変えていただきたいです。
公共交通をどうするか、その大きな柱は、市内や近隣での移動をどう確保するか、です。車で移動することを主にしている人には、少しぐらい不便でも高速道路家の近くでなくても多少の不便さは我慢してもらいたいのです。今からつくる場合です。それよりもどこにいても必要最低限の買い物や病院や役所の機関などに移動するための確保を高齢者も子どもも、ベビーカーを押しても、車椅子でも確保することができていない現状をこそ何とかしたいのです。
先日淵野辺駅でも、電動車椅子の人が私と同時くらいに駅に入ったのに、私の乗った電車を送っているのが見えました。多分駅員側の事情で電車を1本遅らされたのだと思います。ホームまではエレベーターがあれば行くことができるのに、電車に乗ることは駅員の手を借りなければならないのです。それでも電車の駅が近くならまだいいのでしょうか、バスに乗る場合がいろいろ大変です。高齢で歩くこともしんどいと家の前でバスに乗ることができることがベストです。私は広島でそういうコミバスを見ましたが、相模原ではなかなか幹線道路のバスどおり沿いの家でもないとそうは行きません。そのためにどうするか、こそ検討して欲しいものです。
相模湖の31回めの追悼会は盛況でした。参加者も多く実行委員会のご苦労が想像できます。首長や行政などの「追悼の言葉」はなぜああもつまらないのか、と思いますが。どの追悼の言葉が一番聞いていて響くか、がひそかな期待となっています。幅にはいろいろあってもいいと思いますが。メンツは変わってもいいように思います。私自身が言う機会があったときは、とても苦労して考ていました。でもそういう苦労はためになります。今は相模原市になったせいか、あるいは、主催の側の変化か、個々の議員や会派ではなく、県と市の議長と市長、県の行政センター所長、国会議員は民主の参議院議員一人、になっています。あとは、大韓民国居留民団や朝鮮総連、華僑の在横浜の代表、総領事館の領事、大使館の書記官、実行委員会に入っている湘北教祖代表などです。これで結構な時間を費やします。そして文化交流の発表で、歌舞音曲などでしめくくります。盛りだくさんです。しおりの中にある中学生や高校生の調査学習に参加した感想文も良いのです。
第2次大戦前に着工され、7年をかけ整備され、戦後に完成した相模ダムは、300万人以上の労働者が動員され、当時侵略戦争を仕掛けた日本は、中国や朝鮮半島からも「強制連行」という暴力で日本に拉致し、強制的に働かせたのです。工事中にわかっているだけで83名の死亡者を出したとされます。この歴史を風化させまいと遺族の掘り起こしをし、市民グループが根気強く事実を集めて、行政に働きかけ追悼会の開催にこぎつけたわけです。7月の最終日曜日に毎年開催される追悼会に参加すると、夏の訪れを強く実感します。今年もそれにふさわしく暑い日になりました。湖底に眠る人々と戦争で犠牲になった女性や子どもたちにも思いを馳せるときです。


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